見学できるとは知らなかった!
2010年 03月 07日
2月の終わり、友人の計らいで神戸御影にある小原流一連の
建築群を見学する機会を得た。「小原流」というのは知っている
人は知っていると思うが(知らない人は知らないという意)、
生け花作家の流派。その小原流三世家元である小原豊雲は洋画家・
宮武辰夫蒐集の東南アジア民族資料を精力的に生け花作品に
取り入れたらしく、その斬新な試みは高く評価され豊雲の民族
美術への関心と愛情は宮武氏の信頼を得て、後に宮武コレクション
を一括保存を託されたというのです。それら美術品を収蔵して
いるのが現在の「豊雲美術館」。もとは芸術参考館といった。
そしてこの美術館を含めこの六甲山裾野の傾斜地の大きな敷地に
点在する小原流の建築を設計したのは建築家・清家清。
豊雲記念館(芸術参考館)の外観・波型シェルの庇はそのまま内部の
天井に連続している。陶製の透かし模様のブロックが内部に柔かな
光を呼び込んでいる。
清家さんが設計した建物だとは以前から知っていて前は通った事は
あったけど、内部を見学できる施設とは知らなかったのだ。
だから、見学会に誘ってもらい飛んで行ったという次第。
おまけに本来なら見学できないであろう美術館以外の施設も
案内して頂いた。しかも貸切状態!
家元会館の屋上庭園から盛花記念館のある山側を望む。
屋上といっても傾斜地の地形と一体となりここが建物の
上とは感じない。
高い位置にある盛花記念館の前から神戸市街を見下ろす。
眺望バツグン!
さて清家と小原豊雲を結びつけたのは何だったのか?
WEBサイトの「きよしとキヨシ・・・」を一読して頂いたら
おわかりと思うが清家は実は神戸出身。清家の神戸ニ中時代の
同級生で歯科医の稲垣氏(どちら様かまったく存じ上げませんが)
がふたりの仲人約なのだという。
山肌に隠れながら半分は土中に埋まったようなつくりだから
なかなか全容は理解できませんでいたが、アクロバティックな
事を好んだ清家さんらしさがそこかしこに出ていました。
豊雲も負けじと生け花作家の枠を超えて自由奔放な作品を
つくる造形家だったようで、ふたりの「想い」が唯一無二の
建築群を作り上げたようです。
建築群を見学する機会を得た。「小原流」というのは知っている
人は知っていると思うが(知らない人は知らないという意)、
生け花作家の流派。その小原流三世家元である小原豊雲は洋画家・
宮武辰夫蒐集の東南アジア民族資料を精力的に生け花作品に
取り入れたらしく、その斬新な試みは高く評価され豊雲の民族
美術への関心と愛情は宮武氏の信頼を得て、後に宮武コレクション
を一括保存を託されたというのです。それら美術品を収蔵して
いるのが現在の「豊雲美術館」。もとは芸術参考館といった。
そしてこの美術館を含めこの六甲山裾野の傾斜地の大きな敷地に
点在する小原流の建築を設計したのは建築家・清家清。
天井に連続している。陶製の透かし模様のブロックが内部に柔かな
光を呼び込んでいる。
清家さんが設計した建物だとは以前から知っていて前は通った事は
あったけど、内部を見学できる施設とは知らなかったのだ。
だから、見学会に誘ってもらい飛んで行ったという次第。
おまけに本来なら見学できないであろう美術館以外の施設も
案内して頂いた。しかも貸切状態!
家元会館の屋上庭園から盛花記念館のある山側を望む。
屋上といっても傾斜地の地形と一体となりここが建物の
上とは感じない。
高い位置にある盛花記念館の前から神戸市街を見下ろす。
眺望バツグン!
さて清家と小原豊雲を結びつけたのは何だったのか?
WEBサイトの「きよしとキヨシ・・・」を一読して頂いたら
おわかりと思うが清家は実は神戸出身。清家の神戸ニ中時代の
同級生で歯科医の稲垣氏(どちら様かまったく存じ上げませんが)
がふたりの仲人約なのだという。
山肌に隠れながら半分は土中に埋まったようなつくりだから
なかなか全容は理解できませんでいたが、アクロバティックな
事を好んだ清家さんらしさがそこかしこに出ていました。
豊雲も負けじと生け花作家の枠を超えて自由奔放な作品を
つくる造形家だったようで、ふたりの「想い」が唯一無二の
建築群を作り上げたようです。
by knaw
| 2010-03-07 20:12
| ♪度々の旅