郷愁さそう鉄橋
2016年 08月 28日
舞鶴から宮津に向かう鉄道に乗ると由良川を渡ることになる。
日本海にそそぐ河口付近に架かっているから結構な河川幅。
むかしむかし社会人になりたての頃、仕事で宮津の地に長期間出向く事になり、
まだ右も左も判らぬまま、いつ戻れるのかも知れず、赴任地はどんな所かも
よく知らず(関電の発電所の現場だというしか知らずに)何とも言えぬ不安感を
もって、この鉄橋を越えた。
今となっては懐かしい思い出だが、その時は「なんで俺が、こんな辺鄙なところへ…」
と思ったものだ。もう30年も前の事。
大正末期にこの鉄道は整備され、この橋梁が完成したのは大正13年のこと。
コンクリート+石造の橋脚が25基整然と並び、すごい大きな桁(プレートガーター)が
一直線に架けられています。その全長は550m。
車が普及する以前は、由良川を挟む由良地区と神崎地区を結ぶ、徒歩で渡れる
重要な生活路でもあったそうです。
いまではJR線から北近畿タンゴ鉄道に変わり、その後この鉄道には乗車して
ないけれど、車ではよく近辺に行くことがあり、
いつみても、妙な懐かしさを感じるレトロな風景なのだ。
WORKS
日用の住宅考WEBマガジン“Daddy's athome”
日本海にそそぐ河口付近に架かっているから結構な河川幅。
むかしむかし社会人になりたての頃、仕事で宮津の地に長期間出向く事になり、
まだ右も左も判らぬまま、いつ戻れるのかも知れず、赴任地はどんな所かも
よく知らず(関電の発電所の現場だというしか知らずに)何とも言えぬ不安感を
もって、この鉄橋を越えた。
今となっては懐かしい思い出だが、その時は「なんで俺が、こんな辺鄙なところへ…」
と思ったものだ。もう30年も前の事。
大正末期にこの鉄道は整備され、この橋梁が完成したのは大正13年のこと。
コンクリート+石造の橋脚が25基整然と並び、すごい大きな桁(プレートガーター)が
一直線に架けられています。その全長は550m。
車が普及する以前は、由良川を挟む由良地区と神崎地区を結ぶ、徒歩で渡れる
重要な生活路でもあったそうです。
いまではJR線から北近畿タンゴ鉄道に変わり、その後この鉄道には乗車して
ないけれど、車ではよく近辺に行くことがあり、
いつみても、妙な懐かしさを感じるレトロな風景なのだ。
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日用の住宅考WEBマガジン“Daddy's athome”
by knaw
| 2016-08-28 14:05
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